南赤坂遺跡では、古墳時代前期の土器にともなって県内では類を見ない突帯の付いた黒っぽい土器が見つかった。また、この時期では異例のスクレイパーを主とする打制石器、碧玉製管玉の製品、未製品もあるが、墓穴をともなう特殊なテラス状の遺構が注目される。突帯をもつ土器の出自は限定できないものの、北海道か沿海州などの北方地域に求められ墓穴についても同様に考えられる。南赤坂遺跡のすぐ背後にある角田山、弥彦山は日本海から見ると、海上に浮かぶ島のようにも見え目立った山容である。北方海上から越後にきた人達はおそらく角田弥彦を目指して信濃川河口に入ってきたのであろう。これまでも、打越遺跡、横山遺跡において、弥生時代末の時期の北海道系の縄文土器が出土しており、越後が北方系土器の分布の南限地域であることが注目されていたが、南赤坂遺跡の発掘によって、北日本との交流が古墳時代まで継続していたことが明らかとなった。長期にわたる越後と北日本との交流関係は、明確な目的をもった交流であり、重要な意義がそこにあったことをあかがわせる。