越後最大の古墳は、円墳の古津八幡山古墳である。規模は直径56メートル。最大の前方後円墳である。菖蒲塚古墳は全長54メートルである。この規模は全国的に見ると、巨大な古墳が多い畿内を除いても、かなり小さい。日本海側の古墳は相対的に小さいが、それでもおおむね旧国単位ごとに、70から80メートルの古墳がある。今後の越後でもこの規模の古墳が発見される可能性はあるが、現状からいえば、越後の古墳時代の首長の力は絶対的に小さかったとみなければならない。越後平野においては、弥生時代から古墳時代前期の遺跡は少なくないが、弥生時代の継続的かつ安定した遺跡がみられず、古墳時代中期から後期にかけても古墳がほとんど確認できず、人口の変動も大きく、安定した経済成長がなかったと推測できる。その背景には、越後平野は広大な面積を持つにもかかわらず大半が排水不良の低湿地で、水田耕作に適さなかったことや、北陸地方のなかでは多雪で寒冷な地域であることが想定される。多雪寒冷地域ではもともと稲作には不向きであろうが、生産活動が基本的に停止する冬期が長く、農閑期に水田の改良造成ていった大規模な土木作業も行えない。日本海側の古墳が相対的に小さく、その中でも越後の古墳が小さいことは、こうした理由が上げられる。