御飯やおかずの調理は個々の竪穴住居の炉で行われた。煮炊きする道具は、胴が球場になる素焼きの土器の釜である。これらの釜は、内側底部付近にコゲがついたものが多くみられる。このことから、当時の御飯は蒸し米ではなく、水と米を一緒に入れて煮ていたことが推測される。ただしこれがお粥に近い柔らかいものか、現在の御飯のように固いものかは不明である。御飯やオカズを盛る食器にも、主に素焼きの土器が使われた。当時の主な食器は高坏とよばれる高い足のついたお椀であり、これに小型の壷などが加わった。また木製の皿や高杯使われることが数多かったと思われる。このような食器の組み合わせは、九州から東北地方南部まで広く見られ、魏志倭人伝に倭人が高杯のことをよく使うことが記されている。当時の遺跡から杓子は見つかることはあるが、箸が見つかる事は無い。このことから汁ものは杓子、固形のものは手づかみで食べていたと考えられる。