縄文時代の終わりから弥生時代の中ごろの村が廃絶した後、約400年の空白期間をおいて、弥生時代の終わりころに地に再び村が営まれた。村の存続期間は、遺跡が見つかっている土器の形などから考え、およそ70から80年と考えられる。弥生時代の終わり頃に成立したこの村は、古墳時代初頭には繁栄を迎えるが、古墳時代前期中ごろには廃絶し、以後八世紀前半までほぼ無住の地となった。この村の広がりは、東西約800メートル南北約500メートルにおよび、当時としては非常に大規模であった。これまでに行われた発掘調査の結果、多数の竪穴住居が存在したことが推測される。このほか、円形周溝墓が発見されている。それ以外にも八幡宮古墳が存在し発掘調査の結果、直径約30メートルの円形の墓であり、造られた当初は、墳丘の表面には拳大から人頭大の角礫が一面に葺かれ、墓を飾っていたことも明らかとなっている。