八幡山遺跡は平野部との比高差五十五メートル、面積は約四万平方メートルあり、日本海側最北の高地性集落である。村近には前階段の遺跡が全く見られないから、あらたに人々が来て造った集落であることがわかる。集落の周りや屋根を切るように、最大で上幅3.5メートル、深さ1.9メートルの断面V字形の溝が掘られており、土層の堆積状況から土塁が集落の外側に築かれていた可能性が高い。高地性集落では焼け落ちた竪穴住居が検出されることが多く、戦闘によるものと説明されている。八幡山遺跡でも検出された竪穴住居30数基中2基で炭化材が出土し、一期からは鉄ぞく一点検出された。裏山遺跡では八棟の竪穴住居跡のうち六基という比率の高さで焼土や炭化材が出土している。八幡山遺跡では墓の周りに溝を持つ方形周溝墓の主体部から鉄製の短剣と石ぞくが出土しており、このことから鉄製武器が使用され副葬されていたことがわかる。副葬されるということは武器が特別な意味を持っていたことになる。